日曜論壇2 「 農に対する意識転換 」 2001年11月18日
9月11日の米中枢同時テロは、想像を絶する悲しい出来事で、六千人の尊い命が失
われた。
声高に叫ばれるテロに対する報復。米国は報復に各国の参加を求め、今回のテロの首
謀者とされるウサマ・ビンラディン氏をかくまうアフガニスタンのタリバン政権を武
力で追い詰めている。
しかし、だれが報復を望んだのだろうか。六千人の死者が「仇(あだ)をとってく
れ」と言い残したのか。いや、そうではない。報復を望んだのは、生きている者たち
だ。
死者は死の瞬間、どう思ったのだろうか。「もっと生きたかった。喜びの中で人生を
おう歌したかった。本当はこんな生き方をしてみたかった」という強い思いと、そ
れができなかったという断腸の思いがあったのではないか。
六千人の死を尊び、大切にする道は報復ではなく、それぞれの思いの実現こそ、死
者に報いることであり、私たち一人ひとりが引き継ぐべきものでもあると思う。
起きてしまった大惨事をどうとらえ、考えるのか。人の心の動きが、行動を決めて
いるのである。
喜び、悲しみ、憎しみ。人にはさまざまな感情があるが、
人間は本来、喜びの中に生きたいと願うものだ。
個人であれ、組織であれ、事を起こす前に、「喜びで律する」といった、心の中で
の闘いが大切である。考え方の転換が必要だ。「報復をしてだれが喜ぶのか」と問い
たい。テロは卑劣な行為だが、報復でテロは撲滅できない。
私たちの自然循環型農業の取り組みも、考え方の転換があって始まったのである。
それまでは見た目の良い物を、たくさん収穫することに力を注いでいた。「この肥
料が効く」「この農薬が効く」と言っては、たくさん使っていたのだ。
自然相手の仕事だから、「ことしは病気がすごく出た」とか「害虫が多かった」と
か、口から出るのは愚痴ばかりだった。病気や虫が出るのは「仕方がない」とも思っ
ていた。
ナシの木が一本枯れた。周りの木もどうも元気がない。次々に枯れていくのではな
いか、と青くなった時、本気で考え、今までの意識、作業のすべてがおかしかったこ
とに気付いた。
木に元気のないのは、畑が壊れたからで、土を壊してしまったのが原因だと思った。
病気や虫の発生は、自然、土からのサインだったことに気付かなかったのである。
いたちごっこの悪循環の中に入っていたのだ。
自然のサイクルから大きく外れ、地力を落とす循環を続けてしまった。土作りとい
っては、土を壊していたのだ。
同時に、農産物は人の口に入る食べ物なのだと再認識した。「農も脳も転換の時を
迎えている」と感じた。
こうした事情から、身近な資源である生ごみをたい肥化し、地力の衰えた農地の再
生に取り組む決意をした。自然環境と調和し、土作りを基本とした昔ながらの農が手
本だ。
ナシの木を枯らしてしまって申し訳なかったが、木が枯れることで気付かせてもら
ったのだ。環境問題やごみ問題も同様である。自然の循環に合わせ、喜びを核に、ご
みを宝にする事業に夢と希望を乗せて意識を転換していった。