日曜論壇4   「 微生物の力に足元見直す 」  2002年1月27日   

 

 

電気、ガス、水道が一切止まり、都市基盤施設(インフラ)整備の難しさを露呈した

 

神淡路大震災から7年が経った。震災直後、私も神戸を訪れ、がく然としたことを思

 

い出す。

 


インフラ整備と言えば、微生物を利用したバイオトイレが富士山に実験的に設置され

 

たという記事を昨年、読んだ。利用する登山者にとって、清潔で環境にやさしいトイ

 

レだと歓迎され、大変好評であったという。

 

 

バイオトイレは、地下などの建設工事現場や原子力発電所、公園緑地、一部の別荘で

 

も利用されている。少しづつではあるが、浸透しているシステムである。そのバイオ

 

トイレが、「日本一の富士山に登った」というのだからすごいのだ。当然vip待遇

 

を受け、ヘリコプターで登ったと思われる。

 

 

このトイレは微生物の働きで、ふん尿を炭酸ガスと水、少量の腐植(土の中で有機物が

 

不完全に分解してできた茶色の物)に分解減量して堆肥に変えてしまう優れものだ。

 

目に見えない小さな生き物たちの力には驚くばかりである。

 

 

農業を営む私には、物言わぬ彼らの尊い働きによって私達は生かされている、と言っ

 

ても過言ではない。

 

 

私も年に一度、近県の山に登っているがトイレには閉口することが多い。「野原で用

 

を足した方が、まだましだ」と思ったことも多々ある。

 

しかし、そんなトイレでも、あるだけ、ありがたいのである。掃除をして管理してく

 

れる人のご苦労があればこそなのである。

 

 

人間は飯を食い、ふんをする。だれ彼の区別なく毎日、必ず排泄行為をする。にもか

 

かわらず、いったん排泄した物は忌み嫌い、なるべく自分から遠ざけようとする

 

生理的排出物であるウンコと、生活的排出物であるゴミは、似たような構造をしてい

 

るようだ。

 

私たちの排出するものに関しては、個々が対処することはもとより、考えることさえ

 

放棄してしまったようにも思える。

 

だが、臭いものには蓋をして、見ないふり、水に流しましょう。後は知らない、など

 

とはいかないのだ。

 

遠く、見えないところまで追いやるだけでは問題解決とならない。

 

それこそきっちり返って来るのである。そんなに毛嫌いすることはない。

 

臭いだの、汚いだの言っても、毎日、自分で出しているのだから。

 

 

「自分で自分の尻(しり)をふく」という言葉がある。自ら排出したものを見つめ、ど

 

のようにとらえ、対応してゆくのか。自然のサイクルに沿って循環させる手立ては無

 

いのだろうか。

 

まず勇気をもって受け入れ、真正面から向き合うことが必要なのである。私たちは、

 

水洗トイレを通して山や川、海にまでつながっているのだ。

 

決して「水洗トイレがいけない」といっているのではない。足元である衣食住を見つ

 

め直し、問題解決に向けた一人一人の心構えと取り組みが重要だ、と思うのである。

 

農業・食料・水・トイレ・自然。なくてはならない基本的な日常のテーマである。そ

 

れなのに遠い存在ととらえる傾向がある。そのことに気付いてほしいのだ。

 

わが家でも四年前に、バイオトイレを導入した。ささやかではあるが、自らの問題と

 

して、自立へ向かう歩みの一つである。

 

 

 

阪神大震災は生活を根底から揺るがし、「何が大切なのか」を、私たちに伝えてくれ

 

たのではないかと思う。